ブレーキを踏むこと
最近さ、大人になることってそんなにえらいのか〜?って考えたりしてたんだけどさ。
ふいに、高校時代の景色がフラッシュバックした。
みんなで慕ってた生物の非常勤の先生が学校を辞めることになったんだよね。
友だちは校長室に抗議に行くっていう。
「そうだね。急だね。ひどいね。さみしいね。」
ありったけのことばで、相づちを打つけど、校長室に行くことだけは、賛同できなかった。
決まっちゃってることなのに。校長先生に今更言っても、困るだけでしょう?
でも、なんかはっきり言えない。
だって、友だちだってわかってるけどさ、こんなにつらい気持ちでいる生徒が沢山いるんだって、伝えたかったんだと思うから。
だけど、わたしは、行かなかった。
友だちのことを、止めなかった。
薄情だなあって思われたかもしれない。
別にリスクはなかった。感情を整理できない女子高生の顔して、泣きながら校長先生をなじってもよかった。きっと、大人は許してくれるだろう。
でも、わたしはブレーキを踏んだ。
大人って、こういう苦い決断を日々してる人な気がする。
そういうことって、必要だろうか?友だちを止めなかったんだから、校長室に友達が一人で押しかけても私と二人で押しかけても校長先生のめんどくささは同じだったと思う。
だけど、その頃のわたしには、その方法はあまりに稚拙に思えたんだな。
今のわたしなら、どうするか?って。「残念だけど、決まっちゃってることは、仕方ないね…」って諦めるんだろうな。
退化している。大人になるということは、不必要な能力を退化させることかもしれない。