幸福の条件
アドラーが、「人が幸せだと感じるときは、次の3つを満たしているときだ」と言ったんだって。
① 自分が好き(自己受容)
② 人は信頼できる(他者信頼)
③ 私は貢献できる(他者貢献)
①と②は、気の持ちようというか、最悪、思い込みでも何とかなる。
一番厳しいのは、③なんじゃないかなあ?
何をもって貢献したかって事なんだけど、相手の満足とか、返礼としての愛情とか、分かんないけど、なんとなく手応えが欲しくなってしまう。
だけどさ、どんなに気を許した相手であったとしても
やっぱり、さ、ちょっとしたスパイスみたいな行き違いはあったりするわけで
全てが承認で、全てが同調だったら、自分とずっと向き合っていればいい。
鏡の中の自分と対話していればいいんだ。
でも、③だけは、別の人と関わらない限り実感が得られない。
自分は役に立っているのか?自分といることで、相手にどんなメリットを提供できているのか?そう考えると、人って脆い。
女の人でさ、すぐに大人の関係になっちゃう人って、そういうところが弱いんだと思う。ポコちゃんだって、あんまりえらそうなこと言えないけどさ、自分が相手に価値を与えられない時、そういう関係になる事以外、差し出せるものがないような気になってしまうのではないかと思うんだよね。
でも、それって、違っていると思う。セクハラとかなんとか言う前に、そこはちゃんと明らかにしなくちゃいけないと思う。
あー、上手く言う自信がなくなってきた。
じゃあ、ちょっと話を変えて、女同士の場合はね、大丈夫なの。
傷の舐め合いっていうか、謙遜の持ち合い持たれ合いみたいなのがあって
それがすなわち、友達ってことで、優しいってことで、最後にはどんなにダメでもやさしさが発動される。逆に、それが出来ない人とはあんまり深い友達にならない。
どんなにどん底でも、相手をリスペクトし、承認し合う堅い契りがある感じ。(笑)
それか、そんなにダメを発動しない、お互い迷惑をギリギリ掛け合わないくらいの表層的なきれいな関係でいる。それが、長続きのコツだったりする。
でも、男女の中だと、あんまり表層的に大勢の人とつき合うのは、倫理的にどうかという人目もあるし、なんだろうね、すごく好きになると、嫉妬とかも感じたりして、友達と恋人の境界を勘違いしちゃうのかもね? それを、意志の力でずっと友達にしておくという方法は一つあるかも知れないけれども。
真っ昼間から書いているのに、なんだかディープな話になってきちゃった。(笑)男女間の友情が成り立つためには、多分、邪念が入る分だけ、女子との友情よりも、いろいろ合意が必要だし、ただ、本当に成立したら、上っ面の友情よりはうんと堅い絆になるのかもね〜?知らんけど。(笑)