掌の上の自由
安全確保とリスク回避。
安全で居心地がよいこと。
そこにいると、それが最上の贅沢のような気がしてくる。
汚いものには触れたくないし、嫌な感情には揺さぶられたくない。
それが少数派のうちはいいのだけれども、
世の中全体がそんな風になってくると、
自由な発想やイノベーション、人生の目標を多様に設定する自由が
なくなってしまったりしないかなあ?
安全であって、当たりまえ。
リスクを冒すなんて考えなしだ。衝動的だと批判されそう。
でも、そうじゃないんだよなあ。
体感して初めて分かることってあるし、未到の領域に踏み出す若者を応援するには、
それを許し、背中を押す存在でなければならない。
わたしの欲しがっている自由なんて、所詮、お釈迦様の手のひらの上の
安全な自由なんだなあって気づいた時、愕然とする。