愛することと依存することは違う
新聞に定年後の老夫婦についてのことが書いてあった。夫が退職すると、妻がストレスで体調を崩すらしい。
亭主元気で留守がいいだったのに、毎日家にいて、オレの飯は?とか世話を余儀なくする。友だちと出掛けようとすると不機嫌になる。
なんだか、我が家のことみたいだなあって思った。
それは、愛ではなく、依存なんだって。
奥さんが、どうしたら幸せになるか考えてくれるのが、愛なんだって。
飯や自分の世話を要求し、依存するのは愛ではない。
そうだねえ。与えるのが愛で、欲しがるのは愛ではない。
だけどねえ、子どもを人質に取られると、なんだか形勢不利なんだよねえ。
そして、かつては、愛されていたしね。いつから、愛が依存に変わったんだろう?
全然気づかなかった。
そして、依存を満たさなければ、愛されなくなっていることにも、気づいていなかった。
わたしの方は、どうだろう?依存はしていない。でも、愛があるかっていうと、あると言えばあるし、昔のようではないと言えばない。なんでかっていうと、やっぱり、愛は交換条件ではないし、駆け引きでもない。愛しさがあふれてくるものなんだよね。
信頼関係とか、愛で満たされているときはいいけれども、疑われた瞬間にシャッターが下りるような冷たさが、背筋に走る。
それこそ、無償の愛ではないんだけど、信じていたものが、愛ではなかったとある日突然気づいてしまうような、そんなしらけた感じがする。