日日是好日

やっぱり、Facebookは、似つかわしくない。ツイッターは、広すぎるんだよね。掴みどころなくて、そのくせオープンで、まだなんか怖い。ブログって、箱庭が自分にはちょうどいいんじゃない?そんな気がして、戻ってきましたよ! 過去は、振り返らない! 毎日を毎日、毎日、大切に生きていきたいと思います。

社交ダンス

職場に頻繁に電話をかけてくるおじいさんがいる。

あるおばあさんと、若き頃、社交ダンス場で出会ったそうだ。

彼女は清く、正しく、美しく。きっと、若い彼は彼女に恋をしたのだろう。

それを秘めたまま、ふたりして、歳をとった。

 

歳をとっても1人の彼女は、親戚にお金をだまし取られ、東京の郊外の老人ホームに入れられてしまった。

そこで、彼女は認知症と診断され、金銭管理も自分ですることが出来なくなり、買いたいもの買えない不自由な生活をしている。


彼は、そんな彼女が不憫で社会に怒っている。お金を巻き上げた親族に対して。お金がなくなった彼女の尊厳を大事にしないで田舎の老人ホームに放り込んだ生活保護ケースワーカーに対して怒っている。そして、彼女を区内の比較的新しい老人ホームへ移してほしいと懇願する。


彼女を変えてしまったのは、行政と親戚がしたひどい仕打ちのせいだと思っているのだ。どんなに暴言を吐かれても、彼は彼女を見舞うことを止めない。


えらいなあと思う。なかなかできないことだと思う。


彼は、区役所にやって来ては、若い頃の彼女がいかに美しく、素晴らしい性格であったかを語る。もう、妻に内緒で郊外の老人ホームにお見舞いに行くのはつらいとこぼす。(内緒だったんかい?!😁)自分も歳をとったから、本当に遠方にお見舞いに行くのは体力的につらいのだろう。

 

先日は、とうとう、老人ホームから彼女に電話をかけさせた。彼女の口から、現状を切々と訴えるようにと、促すけど、認知症の入った彼女は正直に、彼に言われて電話していることなどをしゃべってしまう。

ねえ、本当に、彼女はそんなに惨めなのかなあ?あなたのように、年老いても、もう、美しくなくても、若い頃の彼女を覚えていてくれて、身の回りのことを心配してくれる友だちがいて、幸せなんじゃないかしら?


つまり、彼のひとりずもうだと思うわけ。

「とても、やさしいお友達がいてくれてよかったですね」

わたしが言うと、彼女は少し涙ぐんだ声で
「ええ、とてもよくしてくれるので。」

と言った。

 

彼が、どんな気持ちでいるのかわたしには分からない。今の境遇は、かつてのキラキラしていた彼女には似つかわしくないと怒っているのだろう。
でも、彼女は充分幸せのような気がするな。それなのに、無理に不幸なフリをさせなくてもいいんじゃないかしら。

幸せなんて、幸せと思ってたら、幸せなんだから。賢いフリして、不満なんて探さない方が、幸せに生きられるんじゃないかななんて思うんだよね。わたしたちは、幸せを増やすために生きているんじゃなかったっけ?