物語が弱いんでしょうね。
これは、熊谷さんの言葉。
熊谷さん、というのは、熊谷晋一郎さんだ。
彼のいう意思決定の三要素は
①選択肢があること
②選択肢のどれも経験したことがあること
③人生を見届けた人たちがいること(歴史の証人?)
だそうだ。
何事も、東大准教授だけあって?スッパリと言語化されるのに、ここは、少しもやもやした。多分、核なんだろうな。
①まず、選択肢があることが大前提。これは明白。鮭おにぎり一択ですって言われたら、意思決定もなにもそれしか選べない。選ばないっていうのは、選択肢なのかな???
②経験したことがあるというのは、あゆちゃんのママがいいこと言ってた。聞いたことも見たことも、食べたこともないタイ料理の名前を並べられて、どっちがいいですか?って言われても選べない。初めてのときは、何らかのガイドであったり、アドバイスが必要だ。
障害者のこどもは、二次災害として経験障害を負っている。判断できないのは、知的障害のせいじゃない!という言葉に力を感じた。
あゆちゃんのママというのは、坂川智恵さんで
この本の作者。
よく、障害を持ったお子さんを育てている方が、この子のお陰で大変だったけど、わたしの人生を豊かにしてくれたっていうでしょう?
やっぱり、面倒くさいことを楽しむと豊かになるんだよね。面倒くさいも切り捨てずに、味わって、再評価していく。
結局、物事に価値をつけるのは個人だから。同じりんごを50円で買いたい人と5000円で買いたい人がいてもいい。
5000円の人がそのりんごを所有したら、5000円の価値になる。経済なんて、そんな感じの危ういものだよね〜。だから、不安にもなるんだよね。お金持ってても暴落したら老後に困るとかさ。。。
話が逸れた。
③これは、物語であり、キャラだと思うの。コーチングみたいになっちゃうけど、自分の生き様だよね。自分のカラーをわかっている。こうしているといい感じ。こういう態度は居心地悪い。
自分について、そういうことがわかっているということは大切。
それが、自分のこう有りたいだけで成り立っている人もいるし、周りの期待や役割で形成される人もいる。それは、ポコちゃんはいいと思う。みんながわがままに、自分本位に生きなければいけないというわけではないんだよね〜。本当の気持ちを隠して、いやいや我慢しているなら、話は別だけど。押し付けられたんじゃなくて、自分で選んでいるという意思決定が重要。
これについては、ゆっくり話したいけど、また今度。
その人の物語が弱いから、人と繋がれないし、自分で決められないってことになるんだって。熊谷先生はそう言ってた。
健常者ほど、どうでもいいことは簡単に決めるくせに、重要なことにはグズグズ悩む。障害者は、逆でなんだって。どこに住みたい。誰といたい。いつ聞いても明確なんだって。
そうだよね。障害者には、それが思うままにならないし、いつもそのことばかり考えてるから。健常者は、どっちでもいいんだよね。なんとかなる。生命の希求ほど切実ではないから。それに、いつでも選び直せるとたかをくくっている。
言い換えれば、テキトーでもなんとかなる。命に代えても守るべきもの、絶対にこうしたいという選択はないんだ。
伝わった?また、話すよ。今朝はここまで。