感情的とは
何かを言いたい時、伝えたい時、その言葉が感情的だと評されることがある。
感情的とは、一時的、やっちまった的な、冷静でない衝動的な言葉という意味だろうか?
でも、違うんだな。
I(アイ)メッセージなんだよね。実は。
押しつけにならないように、自分はこう感じる、こう思うと伝えるのって。
それを感情と勘違いしてもらっては困る。
2周回って、敢えてそういう言い回しを選んでいるのだから。
冷静な言葉ってなんだろうね。
ロジカルで、絶対的に正しい考えや言葉なんてないんじゃないかな。
物事はすべからく多面体だし、見る方向や立場によって、全く違う表情を見せる。
「◯◯すべき」なんてたったひとつの言い切りなんてあり得ないんだと思う。
よくあって、こっちの方がまだマシとか、善後策とかそんな感じ。
ただ見えている一面をどんなに精巧に論理的に描写したとして、三次元にこころまで含む人と人の関係を言葉で現しきるのなんて、無理なんじゃないかしら。
人間関係以外の物事であったら?
それは、例えば、実験結果とか、調査結果とか、できるだけ誰が見ても、偏りのない公正な考えと、ロジカルな解説を求めるよね。
うーーん。
だけど、人間関係に関しては、ロジカルってあり得ないように思うんだよね。
それができると思っていること自体がおこがましい。
関係は流動的で環境や構成によって変化するし、人の心の中身には、それこそ計り知れないこれまでの歴史や経験、個人的な事情が影響をあたえるから。
「みんな違ってみんないい」だからさ、同じように考えられないということが、すでにデフォルトなの。
そこで、どれだけ、何パーセントかでも、相手、そしてお互いを理解し、一緒にいられる空間を残すことが、大切なんじゃないかなあって思う。
自分の思いを吐き出さずに、冷静に客観的に、今できることを具体的に示せることも偉いと思う。
すごいと思う。それは、冷静だと思って、尊敬する。
だけどさ、感情的に見える言葉にも、奥深い思いや戦略があったりするってことも、事実だったりするわけでさ。
というわけで、ポコちゃんは元気です。
凹んでなんかいませんよ。
だって、これがわたしのやり方だもの。
なにも言えなかった半年前より、自分のやれることをやりきったという達成感すら感じていますよ。
本当のことが言いたい。つつみかくさずに。
遠慮するんじゃなくて、居心地が悪いなら、改善したいから。
だって、わたしたちはそうあれる仲間だって信じてるから。