ないけれどもあるべきものに思いをはせる
世界はないものをあると信じることで成り立っている。貨幣経済とかそうだなあ。信用取引とかも、そうかなあ。
…と思ってたら、宗教ですか!
目に見えないけど、確かな拠り所。
何を根拠に確かというのか。強く信じることそのことこそが拠り所な気もする。
このことを1番伝えなくちゃいけないのは、父かな?そんなことを思う。
ないけれども、あるべきものってなに?
死んでしまった母親。
仕事でまだ帰ってこない母親
海外に出張に出掛けた父親
学校に行ってしまった息子
食べてしまったけど、また食べたいごはんの献立
美味しかったお菓子
友達の優しさ
信頼されているという確信
こどもが喧嘩で「今すぐ証拠みせろ」って、私の頃は言っていたけれども、あれもあると信じていた不在をおびやかす言葉だったな。
裸一貫では、なんにも持てない。
あるのは自分が揺らがず信じているということと、信じて待ってくれれば、ちゃんと見せられる。少し待ってもらえる信頼。
子どもながらに、怖いなあと思った。
人がチンパンジーに脅されたら、もとい、信じない人に信じてる世界を説明するのは、それくらい理解されるのが難しいことなんだろうなあ。
わたしは、最近、大丈夫ばかりを言い続けていた気がした。