少数派
少数精鋭っていうでしょう?
いや、違うな。
だからさ、ポコちゃんの中では、少数派の方が希少価値っていうか、本物なの。多数派っていうのはね、烏合の衆っていうか、付和雷同っていうか、本当のことを言わないから、本当の自分を見つめていないから、そういうことになるんだってば!
「おんなじ〜」「特になし」みたいな意見聞いてたって、面白くもないし、前に進まないでしょう?
少数派が弱いなんて、誰が決めたんだろう…。
それがさあ、違うのよ。
選んでそうなった少数派は、限りなく強いの。
でもさ、生まれ落ちて、気づいたら少数派だった場合、どう振る舞っていいかわからないのよ。
奥山佳恵さんが言ってる
「ダウン症に限らず、障害者は少数派です。少数派はどうしても注目されてしまいます。世の中の多くの仕組みは多数派に合わせられていますから、少数派には生きづらい世の中かもしれません。でも考えてみてください。私たちも、いつ病気や事故、あるいは高齢化で、人の支えが必要になるかも分かりません。少数派が生きづらい世の中は、多数派にとって生きやすいのでしょうか。」
母が言ったんだよね。「お母さんも知らんかったけど、頑張ってもできん人はいる。」
私は長女だから、どんくさいなりに、お姉ちゃんとしてちょっとか弱きものを身近に持つことができた。小さいからできない。とか、頑張ってもできないは、感覚的に理解する。でも、それは、いつか大きくなったらできるって思ってもいたんだよね。みんな、同じように頑張れば、同じようにはできるんだって。
自分が苦手なことだって、人一倍頑張れば、克服できると思ってた。子どもってそうでしょう?そうやって、可能性を信じて大きくなる。
でもさ、圧倒的に差がついて、あーもうだめだ、追いつけないって日がいつか来るんだよね。その時に、自分の弱いところに気づく。
そのきっかけは、守りたい家族ができたことかもしれないし、病気やけがで思うように動けなくなったことかもしれないし、ただ、歳をとって衰えたのかもしれない。いや、もっと徹底的に才能が足りなかったり、経験値が間に合っていなかったり、追いつくには何万光年級の天文学的努力が必要に思えるときかもしれない。もう、恋するにわとりが風見鶏に憧れても同じようになれやしないと気づいたときかも知れない。その時に、あ、弱いってこういうことだって気づく。
志村洋子さんは、こんなふうに言ってる。
「世の中で虐げられ、価値がないといわれるものこそが
本当はいちばん崇高であるし、
価値が高いっていう、価値の転換。
その転換こそが美につながるのではという、
そういう提案をしたいのです。」
多数派から少数派になって、多数派のフリをする。多数派から、落ちこぼれないように、必死でついていく真面目さ。責任感。
そのことは、こころと身体を拘束し、自由を奪う。
そんな現代のまじめさに絡め取られないように、ひょうひょうと嘯いていたい。
違うからいいんじゃない!違ってるから、ステキなんじゃない。
わたしに張り合おうとしないで!わたしのいいとこの魅力が半減しちゃう。
あなたのいいところは、突き抜け過ぎてて、どこまで行っちゃうかわかんないわ。
だけど、そんなところも好きなのよ。
おんなじじゃなくていい。全部は理解できなくてもいい。
分かるところ、好きだと思うところを大事にしよう。
糸井さんみたいに。
「彼女はきっと運よくなんとかするでしょう」
「ああしようが、こうしようが、楽しかった」
不真面目なことを、真面目に主張したい。