備えあれば憂えなし 3/15のほぼ日を読んで
3月末に退職する非常勤さんがいる。68歳のおばあちゃんである。
シングルファザーの息子さんと、お孫ちゃんと暮らしている。
お孫ちゃんは喘息持ちで、新年度から小学生。小1の壁に阻まれて、退職するようなものだと思うと、口惜しい。
今まで、どうやって仕事してきたの?と聞くと、毎日毎日が精一杯って。先の備えなんて、できないよね。いや、「今を生きる」だから、それでいいのかな?
行政の仕事をしている人たちなどは、「そんなの備えてたらきりがないですよ」とは言えない。「もし、こういうことがあったらどうするんですか?」というような心配を持ってくる人がいたら、まずはいったん、その心配に「寄り添う」必要がある。とにかく、いったん「そうですね」なのだろう。そのうえで、予算がないだの、優先順位が少し低いだの、「備えられない」理由を説明することになるのかな。あらゆる可能性に「備え」ていないと、思いやりの足りない役所だということになりそうだから、「備えるつもりはある」と匂わせてなくてはならない。かくして、無数の「備え」がリストアップされ、「備えてない」ところがないようにと、チェックしている人たちが増えていくことになる。
だから、合わないのかな?
違うよ。ポコちゃんは、寄り添いニーズを把握する係。だからいいの。
こういうことは、ひとりの人間のなかでも起こりうる。なにを備えておくべきなのか、問題を探す。そして、「備え」のための労力を惜しまずに、「備え終える」まで備え続ける…ことに人生を費やす。ああ、「備えあれば憂いなし」ということわざの、罪は重かったと言わねばなるまい。
じぶんの人生、じぶんの時間を、どう使いたいのか。つまり、どういうことを大事にして生きたいのか。これを問わないままの「備え」は要らないのである。ちがうか? 人間の生きる時間が、生きたい時間でありたい。そのために「備え」の大切になることがあれば、惜しみなく心血を注いで、備えるべきであろう。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 一生、重いコンダラーを転がしてないで、野球を始めよう。
客観視することは大事。俯瞰も大事。だけど、目の前の仕事に集中し、全力を尽くすことだって、同じくらい大事。
毎日を、賢くなくていいから、精一杯生きよう。だから、賢くないって、そしる人がいても、それは諦めよう。
昨日は息子に優しくできなかったな。だって、とんかつも食べてくれないし、わたしの言うこと聞いてくれないんだもん。悲しかったから。
こんなときは、自分を許そう。弱っているだけ。優しくするには、体力もいる。いまは、少し力が足りない。無理しないで、回復しよう。
そう思うことにした。
追伸 「焼け石に水」は諦めろ!無駄なことするな!じゃなくて、別の方法を考えよう!だからね。3/16のほぼ日より。