協調性から社交性へ
「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」平田オリザ
昨日から、この本をむさぼるように読んでいます。
心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。
「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は、耳に心地よいけれど、そこには、心からわかりあう可能性のない人びとをあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理が働いてはいないだろうか。
成熟型の社会では、多様性こそが力となる。……多様性こそが持続可能な社会を約束する。……みんなちがってたいへんた。しかし、この「たいへんさ」から目を背けてはならない。
……科学哲学が専門の村上陽一郎先生は、人間をタマネギにたとえている。タマネギは、どこからが皮でどこからがタマネギ本体ということはない。皮の総体がタマネギだ。人間もまたおなじようなものではないか。本当のじぶんなんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。
ペルソナの仮面の総体が人格を形成し、ただし、その仮面の一枚だけが重すぎると、バランスを欠いて、精神に支障をきたす。
コミュニケーションのダブルバインドはますます複雑になるけど、この状況をはっきりと認識し、そこと向きあうことから始めるしかないだろう。
わかりあえないことは、さみしいけれども、わかりあえないことを受け入れれば、もっと世界は広がる。
文化を超えた調整能力。「グローバル・コミュニケーション・スキル(異文化理解能力)」
その中でも重視される、集団における「合意形成能力」あるいはそれ以前の「人間関係形成能力」
それを身に着けたら、バージョンアップできるかも?それを目指そう!新しい目標を見つけた!頑張らなくっちゃ!