日日是好日

やっぱり、Facebookは、似つかわしくない。ツイッターは、広すぎるんだよね。掴みどころなくて、そのくせオープンで、まだなんか怖い。ブログって、箱庭が自分にはちょうどいいんじゃない?そんな気がして、戻ってきましたよ! 過去は、振り返らない! 毎日を毎日、毎日、大切に生きていきたいと思います。

コナンについて

今度の面談で話すことにする。

これは、私からの見方なので、客観的に違って見えたら、それは、課長の判断で聞き流してもらってもいいのですが

報告、連絡、相談がとてもしにくいです。

報告・連絡をすると、あれはどうなの?!ここはどうだった?と言い方もありますが、きつい口調で問い詰められて、萎縮します。
具体的に、これが漏れてるから、ここをこうしてくれる?とか、こっちもやっておいてねと言ってくれれば、すぐにできるのですが、萎縮して、脳みそがフリーズします。

相談すると、自分で調べろとか、前に話したはずだとか、強い口調で言われます。実際には、自分も覚えていないのです。聞いてくれるな、自分で調べろということなのですが、あまりにも引き継ぎがない。仕方なく、何代も前の担当の資料を探して仕事をする始末です。資料が残っていないから、聞いているのです。

また、前のやり方を踏襲するのはダメだ。変わっているかもしれないから、その都度調べろと言います。暇ならそこまでやりますけど、お互い忙しい中、全部の重箱の隅を完璧につつくことは無理です。

意見が違うと、自分はこういう意味で言ったということを延々と繰り返し、その後の取り扱いを決めません。それは「私が判断するという意味ですか?」と聞いてみました。たぶん、自分と違う考えを認めると、自分が間違っていたことになるなどと恐れているのだと思います。

それがわかっていたから、ずっとそういう時には聞き流し、フォローしてきたつもりでしたが、一向に信用してくれる様子はなく、むしろ、彼女がわたしの粗探しをするように、わたしも彼女の粗探しをしているとでも思っているのでしょうか?

基本的に粗探しというか、もちろん、上司ですので、ぬかりないように、いろいろ点検して下さって、指摘してくれるのでしょうけど、やっぱりキツイ。

また、細かい指摘をする割に、引き継いだ仕事は穴だらけです。それを、知らずに踏襲すると、指摘され、前のものを見てやったが、気づかなかったというと、自分で考えてやらなくてはいけない!の繰り返しです。

そうなると、自分も間違っていたのにな。。とこちらは思ってしまいます。ミスが出ないための複数人での決裁なんだから、見つかってよかったでもいいのではないかな?

前の非常勤さんの〇〇さんに対してもそうでした。彼女が早々に辞めてしまった原因の一つは、そのことがあると思います。

直属の配下だと思うと、ちゃんとしなくてはという責任感なのかもしれないとずっと思ってきました
それ以外の人には、そのような態度は見られないし、けれども、自分にだけ厳しいというのが、また、信頼されていないことを見せつけられているようで辛いのです。

もう少し、指摘の仕方を工夫してくださるといいと思います。