規格外の人
やまゆり事件のことについて、障害者芸人 ホーキング青山さんの記事より
こういう人の言うことを真に受けて、障害者の『生きる意味』を論じること、それ自体が何かおかしいのではないでしょうか。どこか相手の術中にはまっているというか。
術中にハマるって、いい言い方だなあ。そうなんだよね。大きな声で煽られても、つられて言い返してはいけない。冷静に。
でもさ、差別と差別でないの境界はどこにあるんだろう?
当事者と第三者の境目も。
私たちは、小さな頃から人の気持ちがわかる子になりましょうって育てられてきた。いったい、誰の気持ちに共感するのが、正解なのかい?それとも、そもそも共感なんてせずに、主体性バリバリで生きていくのがいいのかな?
どれも程度問題で、ケースバイケースで、たくさんのデータを集めた方がよりデータは正確に近づくに決まってる。
そんなこと、Aiに任せときゃいいんじゃない?
わたしたちは、どこへ行き着きたいのだろう。
なんか、波に翻弄されて、右に左に揺れる笹舟みたい。心を揺さぶるのも人、俯瞰するのも人。いろんな経験をしてきた仲間が、それぞれの経験をちゃんと話し合える場があれば、集合知っていう合意の形成ができるのかな?
わたしたちは、みんな違う。違うところを活かして、誰かの役に立ちたいのだ。