恨むの反対は許すなのかな?
今日ね、広島の原爆2世の人が書いた本を読んだ。
「8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心」美甘章子
アメリカ人を憎むのは間違いだ。確かに原爆を落としたのはアメリカだが、アメリカ人を責めるべきではない。物事の全体像を把握することが大切だ。悪いのはアメリカ人ではなく、戦争だ。。章子は大きくなったら、英語などほかの国の言葉や文化を勉強して大洋に架かる橋となり、異なる背景や信条の人たちがお互いに理解と協力ができるように人の助けになりなさい。
こんなこと、なかなか言えないよな。お父さん、すごい。
私達の心は、被害者としての意識に焦点を当て、どれだけひどい目に遭わされたかということを必死に胸に刻み込もうとするかもしれません。けれど、人間が持つより高尚な精神力は、人を憎む機会を人を愛する機会にと変えることができるのです。
娘もすごい。
いやー、それに比べて、その精神力を持つ人だけの楽園を作りたいポコちゃんは、差別主義者だ。
それから、共感は、同情とは違うと書いてあった。
その人と全く違う感情や意見を持っていても、その人に共感することはできるのです。同意もしないし、心底から湧き出る怒りや憤りの感情をたとえ持っていたとしても……怒りや憤りや恨みの鎖に繋がれた被害者として生きるよりも、この経験を生かして人間性をよりよく理解し、世の中に貢献しようとする道を選ぶ…
元来は健全だった判断力が、傷ついた気持ちと深い憤りによって鈍ってしまう……相手方に罰を与えたり仕返しをしたりしようとすることが多々あります。……自分自身の恨みつらみをとりあえず横に置き、何が……いちばんよい結果になるのかを最優先に考え、たとえ憎い相手方であっても協力体制を整えるということを想像できない親は……子供の気持ちにさえも共感することができなくなってしまっています。
加害者」が報いを受けて苦しめばよい、…実際にそうなれば…、世の中の正当性が確証されたような気分ですっとするかもしれません。が、そのような安堵や満足感は表面的なもので、…共感と許す心こそが真の意味での癒やしに通じる道なのです。(共感や癒やしは)自分の感情の奴隷となることなく、より自由な物事の捉え方をすることができます。それは……有能感と解放感を与えるのです。……その分、自己成長と癒やしのためのエネルギーと心の余裕が作り出せるのです。
若干、写経してるうちに、宗教みたいに思えてきた。
ポコちゃんは、何事にも寛大でありたいと思ってる。ズボラでも、慎重さがなくてもいいから、許せる方が、恨むより次元が上だと思ってるところがある。緩さと寛大さがウリなのに、そこが揺るがされてる。
ポコちゃんは、辛い経験が足りないのかもしれない。生ぬるい許ししか、生み出したことがないから。
話は違うけど、今日ね、要領のよくて、立ち回りの上手な従姉妹のことが、嫌いになりそうって人生相談を読んだ。
そしたらね、光浦靖子さんがね、あなたとその従姉妹は僅差で、ほとんど同じ実力で同じような武器を持っているのに、彼女はうまく立ち回り、自分はそれができないから、ひがんでいるのだと。だけど、意固地にならないで。まだ若いんだから。いいと思ったら、マネしてみな、そのうち、こういうことかって、従姉妹のこと嫌いって気持ちが薄れるからって。
なんか、いやー。ポコちゃんはひがんでなんかいないからね。意固地になんかなってないからね。絶対に、あんな風になりたくないからね。マネなんて、絶対にしない。比較したり、並べたりされるのも嫌。
マウンティングなんかしないからね。横並びじゃないから。次元が違うから。世界が違うから。決して交わらないから、ほっといてよ!
パイの取り合いなんて、みっともないことはしない。彼女の持ち物に興味はないし。、うばおうとなんておもっていない。
許すより、忘れたい。共感なんてしたくない。恨むこともしたくない。でも、意識から外したい。
そういうのは、だめかな?もう少し、時間がほしい。今すぐは無理。やっぱり、ポコちゃんの中でちゃんと消化して、もうなんだっていいやってならないと。無理に気持ちを捻じ曲げたら、おかしなことになる。絶対に、いつか我慢してる気持ちが、反乱を起こす。
見ないでいたいの。それまでは。
大きな愛を生み出せるようになったら、どれだけ奪われても、きっとパイを広げて行ける。そういうポコちゃんになれたら、きっと、痛いとも思わなくなると思うんだ。
それか、出家して何も持たない、何も奪われない身分になったら。ポコちゃんには、まだ、世俗の大切なものが多すぎる。透明になれたら、殴られても、ちぎられても、すいっとすり抜けて行ける気がする。
血を流すところを見られるのが悔しい。わざと意地悪されるのもムカつく。もう、過去の話だけど、やっぱり、だめ。仙人のような心持ちにはなれないよ。まだ、今は。
大丈夫。ポコちゃんには、他にも世界があるから。依存先も選択肢もたくさんあるから。1つぐらい消えたって、なんてことないのさ。強がりじゃなく。
ここまで書いて、思った。あ、世界は我慢しなくていい方向に動いたんじゃなかったっけ?怒ってもいいんだよね?怒れって、そういう流れだったよね?
わかんなくなってきちゃった。怒ってもいいの?だれか、味方してくれる?それとも、みんなシーンとなって、わたしのことを見放す?
そもそも、怒るほどの価値のあること?そんなにまでして変える必要ある?離れればいいだけじゃない?戦わなくていいんだ。共存できれば、そこがゴールだから。わかり合おうとか、共感し合おうとか、同調圧力はなくなるんだもの。
新しい世界に、まだ慣れない。ついつい、人目を気にしちゃう。周りだって、まだ慣れないもんね。当分は、そういう評価を受けることを覚悟しなきゃ。だから、用心するのもよい。これまで通り。
ただ、言えるのは、攻撃だけはしないようにしよう。戦争に加担することになるから。
攻撃性は…深い恐怖心から出る反応です。何かが奪われる、何かが欠乏してしまう、見捨てられる、攻撃される、侮辱される、……あるいはさまざまな権利を剥奪される……ですが、精神的にそして情緒面でもより発達した人間であれば、……衝動的な行動に出る必要はありません。……深い憤りや恨みの気持ちが……病気になりやすくなる……逆に、許す心が気分を改善したり、抑鬱状態を正常に戻す
葛藤の中にあっても物事を多角的に見て理解できる力と共感を育てられるように教育啓発する
わかる、祟り神にはなりたくない。自分を見失うのは嫌だ。だけど、なかなかひとりでは難しい。
許す心と共感。慣れたら、オートマチックに出てくるのかなー。