日日是好日

やっぱり、Facebookは、似つかわしくない。ツイッターは、広すぎるんだよね。掴みどころなくて、そのくせオープンで、まだなんか怖い。ブログって、箱庭が自分にはちょうどいいんじゃない?そんな気がして、戻ってきましたよ! 過去は、振り返らない! 毎日を毎日、毎日、大切に生きていきたいと思います。

痛み

よくわかんないけどさ、対立するのが嫌なの。治療の過程として、膿を出すことが大事なのは、うすうす理解するけど、それを抱えてきたのは、男の人だけが悪いわけじゃない。共犯の女もいたんだよね。自分だけは特別だって思ってた。
だから、膿だけに注目しないで、若いセクハラなんてしたくないしされたくないって思ってる、まだ汚れてない人たちのための土台を固めるつもりで話し合わなきゃいけないのかな?とか、いろいろ思う。
ぶちまけるだけじゃ、新しい世代まで、過去の膿をかぶっちゃう。見ないふりをするわけじゃないけど、なんでも暴いて見せればいいってわけじゃないよね〜。


 戦争とか、嫁姑とか、辛い思いをした人が、辛い体験を語っているうちに、それに酔ってしまったり、この辛さを理解されたいと思ってしまったりするような感じ。セクハラの恨みの話を聞くと、そんなことを思う。

一方で、黙り込んで、自分が辛かったことは、封印して、次の世代には絶対に同じ苦労をさせたくないって頑張る人もいる。

どっちが多数派かって言ったら、後者じゃないかと思うんだよね。なのにさ、前者の人たちばかりクローズアップしたら、なんか世界が歪む気がする。

勇気がないから、被害(辛い思い)について黙っている訳じゃなくて、模倣犯も含めて、決して繰り返してほしくないし、そんなことなかったって思いたいくらい嫌だから、黙っているんだと思う。

過去を癒すことも、大事だけれども、過去を変えることは出来ない。これから作っていけるのは、未来だけなんだよね。
だから、もっと未来を、もっと夢を、もっとだれかのことを思う優しい気持ちで満たして、語ってほしいと思うんだ。

痛みに向き合い過ぎると、視野が狭くなるよね。痛みはどんどん個別化して、人と繋がれなくなる。