日日是好日

やっぱり、Facebookは、似つかわしくない。ツイッターは、広すぎるんだよね。掴みどころなくて、そのくせオープンで、まだなんか怖い。ブログって、箱庭が自分にはちょうどいいんじゃない?そんな気がして、戻ってきましたよ! 過去は、振り返らない! 毎日を毎日、毎日、大切に生きていきたいと思います。

まじめちゃん

先日の大会で「まじめちゃん」って作品を出した人がいた。
わたしは、小学生には「少し早いんじゃないかな?まじめちゃんに悩むのは中学生くらいじゃない?」って言った。
児童文学を書く人には、まじめちゃんがいっぱいいて、なんかおもしろかった。

だけどさ、百歩譲ってさ、小学生の「まじめだね」には悪意がないかもしれない。中学生の「まじめだね」には、あるよね? 意気地がないとか、勇気がないとか。先生の言いなりとか、自分がないとか。

断捨離したほうがスッキリするに決まってる。それができるなら、とっくにしてるんだよね。
まじめちゃんがみんな悪ぶってダラダラしてるんじゃなくて、いろんなしがらみとか、誘惑とかなかったみたいに、涼しい顔してできちゃうまじめちゃんが、うらやましくて、憎たらしいんだ。
だって、わたしだって、まじめちゃんになって、ママにほめられたいもの。

ポコちゃんは、まじめちゃん?ちょっと違う気がする。

宮下さんは、先生のことが大好きだったって言ってた。そういう時代もあった。でも、そのときって、クラスの子たちのことより明らかに先生の方が好きだった。
そのとき、先生になりたいなって思ってたけど、中学生になって、先生がふつうの人に見えて、先生を超えていけるって思ったら、なんか先生なんてなりたくないなって思った。

まじめちゃんとは、飼い主と犬の関係かもね。素直になついてるほうが可愛がられるし、ストレスがたまらない。

わたしが、スッキリするから、まじめちゃんっていうのは、なんか少し何かに目を瞑ってる気がする。

傷ついていた

さっき、「対岸の彼女」を読み終わったの。
森絵都さんの解説を読んで、人と出会って、分かれるたびに、真っ黒な空洞ができていくみたいに書いてあって、あ、そうか。わたし、傷ついていたんだって気づいた。

母が死んでしまったことも、友達と別れたことも、真っ黒な空洞になって、わたしの中に潜んでいる。

それがさ、浮ついた毎日の中で、浮ついてたって、それなりに一生懸命だからさ。空洞を抱えていることすら忘れてしまって、まるで満ち足りていますみたいに振る舞っているけど。

大学生の時にさ、いろいろめんどくさくって、って、別に誰かに意地悪されたとかそう言うんじゃなくて、なんかさ、なにが一番価値があって、何がくだらなくて、そういう取捨選択っていうか、並べて選ぶみたいなこと、全部放棄したくなって、真っ昼間、カーテンも開けないで、寝間着のまま、下宿していたマンションのベッドの中でひたすら文庫を読むみたいな一日を、授業がない日は、なんにも予定を入れないで、ひたすら、本を読み、疲れたら寝て、お腹が空いたら、なんか食べて、また本を読んで、寝る。そんな暮らし方をしていたことを思い出した。

カーテンの外から、学生らしき人たちの声が聞こえたり、宅急便のおじさんが、荷物を運んだり、新聞配達が来たり、外の世界はちゃんと明るくて、がやがやしているのに、わたしだけが薄暗い部屋の中で、顔も洗わずに、寝間着のままでひっそり本を読んでいる。

本を読むってことだけが、楽しみっていうか、なんか正当化で、堕落しているんだけど、ちゃんと意味があるっていうか。名古屋から出て来て、こんなところに親のお金でマンション借りて、掃除もしてない汚い部屋で1人、むさ苦しい感じで、インスタントコーヒーとか、身体に悪そうなものを飲みながら、わたしって一体何してるんだろうって思いながら、ひたすら本を読んでいる。

そんな風景を思い出した。

買ったばかりの服を着て、ちょっとばかし髪をとかして、お化粧して、出掛ければ、それなりに楽しい休日になることは知ってる。

図書館で誰かに会うかも知れないし、伊勢丹の地下でものすごい美味しいハムとフランスパンとレタスをちょっぴり買って、贅沢なサンドイッチを作ったら、気分が上がるかも?
インスタントコーヒーの代わりに、高級な量り売りの紅茶を少しずつ買って、ひとりで飲むなんてこともやった

でもさ、だからなんなの?って

誰かと一緒にそういうことやるのは、なんだか見栄を張っているようで、薄っぺらくって、つまらない気がする。
誰かと一緒なら、いっそ、ケンタッキーとコカコーラみたいな、ジャンクな食事でいい。

一人だから、そんな風に上質を自分のためだけに用意して楽しもうと思うけど、いつも楽しいのは準備して食べるまでで、食べ終わって片付ける頃には、あー、本読んでた方が、なんか残ったかな?みたいな気持ちになってすこし後悔する。
あっという間に食べ終わったフランスパンの皮が、食道の奥でつっかかってしまっているような、罪悪感が残る。

新しい服を買って、月曜日には着て行こう。みんな、「なんかいつもと感じ違うね」とか言ってくれるかな?髪型はどうしようか?口紅はどれにしよう?なんて、ちょっとワクワクするけど、それもそれだけ。
慣れてしまえば、いつもの服だし。ちょっと違う感じがそのままわたしになる。

人に会いたいのかな?何かを経験したいのかな?知識を得たいのかな?
わたしは、一体何をしたいんだろう?って一日考えているうちに、夕方が来て、夜が来て、週末が終わる。

あー、レポート書かなきゃだったんだ。来週の授業の発表でつかうレジメ、まとめてなかった。
試験っていつだっけ?そろそろ勉強しないと間に合わないな。
夕方になると、急に思い出して、でもそれにとりかかるでもなく、一日ダラダラ過ごしてしまったつけの洗濯やら掃除やらして、お風呂に入って、髪を乾かしながら今日読んだ本のことなんかぼーっと考える。
やっぱりわたしは消費しただけで、なんにも生み出してはいないんだと気付き、ちょっと哀しくなる。
アルバイトしてたらよかったの?それも違う。生み出すって、なんだろう?
なーんてぐるぐるしていると何にもしないまま、月曜日を迎えてしまう。

どうして、わたしはこんな風なんだろう。
そんな風にも思うけれども、それがわたしなのだろうな。

ちっちゃなうずきみたいな空洞を抱えながら、走ったり、休んだりして

目の前のことを、片付けよう。
いま、ほっといて気持ち悪いことから対処しよう。

そんなふうに思って、今日も終わっていく。
でも、それでいいんだ。傷ついていることに、気づけたから。
昨日のわたしよりは、一歩、自分に踏み込めた気がする。

わたしって、ほんとたいしたことない。
そんなふうに自分を貶すことで、自分で自分に掛けてるプレッシャーを外そうとしているんでしょう?
三者みたいに意地悪につっこむ。

そうそう、大したことないのは事実だけど、大したことあるみたいに思い上がって、深刻に悩まないように、ほーんと、ハードル下げてるの。
わたしって、こう見えて、なんだか自分にガッカリしやすいのよね。
自信過剰なのかしら?自分を高く見積もり過ぎているのかしら?
こういう意地悪なツッコミ役がいないとさ、なんだか追いつめちゃいそうで、茶化しているんだと思う。

だから、そっとしといてね。ひとりでなんとかできるから。
なぐさめられたら、泣いちゃうから。泣いてる理由とか説明したくないし。でも、説明しないで勝手に解釈されて可哀相がられても嫌だし、無理に言葉にしようとしたら、違うこと言っちゃいそうで。なんかそれはちょっと嫌で。

元気になるまで、ひとりでいたいの。
そんな気分を思い出しちゃった。

追伸、今のわたしは元気です。ご心配には及びません。あしからず。いつも読んでくれて、ありがとう。

わたしの限界

うわついているのが嫌なの。
柔軟なように見えてさ、ものすごい頑固
っていうか、自分が譲れない
なんなんだろう?自分って思ってた。

わたしと違う正義の人が
”かたはらいたく”思っているよ
ってビンビン感じているのに
なんかうまく振る舞えない

だれかをちょっぴり傷つけている気がする
加害妄想かな?
嫌がるだろうな?こんな風に上から見られている感じ
崇拝されたいだろうしな
自分のイメージと違うもんな

あなたとわたしは違うから
そのままでいいんだよ
わたしが足りない時に助けてね

今は大丈夫だけどわたしが自信を失くしたら、支えてね

そういいたいのに、上手く言えない

わたしだって、葛藤してるし、上手くできたって思える日ばかりじゃない
っていうか
もっと上手くやりたかったって日もたくさんある

自信ないのに自信満々みたいな自分のありようが上手く説明できない

でもいいんだ。できないことはやらない。
今じゃないから。
ごめんね。あなたが傷ついていることも
拗ねていることも分かっているけれども
今のわたしにはなんにもして上げられない

わたしは、わたしのできることに全力を尽くすわ

あなたはあなたで頑張って
遠くから、応援しているから。

やっと素直になった

前に母親に言われたことがある。
「やっと素直になった」
なんかさ、一方的に母親に世話を焼かれるのが嫌で
わたしもなんか役に立ちたくて
母親をよろこばせたいのに、上手くできなくて、
なんか素直になれない時期があったんだよね。
なんかやってくれても
「いいのに。」
とか、
「わたしがやるから」
みたいなこと言っちゃって
母親がやってくれることを迷惑みたいに言っちゃって
「そのままほっといて」
とかさ。
素直に感謝できなかった。
それは、私自身、まだまだやれるのに
母親が先回りしてやっちゃうことが嫌だったのかもしれない
母親に認めてほしかったのかも知れない。

そんな時、なんかで「ありがとう」って言ったんだよね
そしたら
「やっと素直になった」
って言われてびっくりした。

なんかさ、やっぱり、いくつになっても、母親は母親なんだなって
わたしは反抗期の中学生じゃないぞ(笑)って
思ったけど
きっと、母親は全部分かっていたんだろうな
わたしの悔しい気持ちも、負けず嫌いな気持ちも
もっとやりたい気持ちも
それでも、ちょっとでも助けてあげたくてっていうか
助けてくれたくて、ついつい手が出ちゃってたんだと思う
っていうか、手伝いに来てくれてたしね

初めての娘が産まれた時

母からの遺言は
「たくさんよろこばせてくれてありがとう」
だったな。
本当は悲しませたことも、怒らせたことも
たくさんあったと思う。
でも、よろこんだことを一番覚えてくれていてありがとうって
思った。

わたしは、母をよろこばせることだけを頑張ればよかったのにね
いらだたせたり、悲しませたり、怒らせたりすることなんかに
興味を持たないで
ずっとよろこばせていられたらよかったのに

なーーんて思うけど、
本当は違う。母が、どんないらだちも、怒りも、悔しさも
ちゃんと受けとめてくれたから、
丈夫に成長できたんだなあって思う。

ついこの間、娘の反抗期が終わったんだけど
「やっと素直になった」
って、わたしも思った。

まだまだ、余裕がないときはイライラするし
いい子になったわけじゃない
お弁当箱は朝出すし、脱いだ制服や靴下は散らかしっ放しだし
宿題だって、勉強だって、ちゃんとやってるかって
前と変わらない

でも、エネルギーを変な風に放出して疲れちゃう時期は
抜けられたのかも?

さなぎの時期だったのかもな?
ちゃんと変態できたかな?
チョウチョになれたかしら?

わたしも母みたいにちゃんと受けとめていけるかなあ。
子どもたちのこと。そんなことを思ったよ。

日差しが暖かい

急に寒くなった。
夏生まれのポコちゃんは、もう大変な着ダルマ状態。(笑)

指先も脚も冷える。

疲れも貯まるってもんよ。

やっと金曜日。

今日もコナンはお休み。Sさんのお手伝いができて、ありがとうと言われた。うれしい。

昨日よりは、疲れていない。でも、気をつけないと。

明日は、コーチングだわ。 

いろいろ先延ばししてることがある。
年末調整のこと、諸々の出欠の連絡
体力に自信がないと、先の予定を入れることを躊躇してしまう。
それは、家庭のせいでも夫のせいでもなくて、わたしが望まないんだわね。
無理していけば、楽しいこともあるってわかってるけど。極力、絞り込む。

空いた時間で何をするの?寝る。くつろぐ。食べる。笑う。本を読む。

全力投球しかできないから、休むときは、きちんと休む。

対岸の彼女

最近、仕事柄か、走るように文章を読み、鬼のようにエッセンスを抜き取り、要約するような読み方ばかりをしていた。
角田さんの主人公は、どこかぼんやりしていてわたしみたい。この人のこと好きなのかな?嫌いなのかな?そんな価値判断さえぼんやりしている。
でも、彼女のこと、よくわかってるんだろうな。本を読み進めていくと、わたしのことも作者がわかってくれてるような気がして、うれしくなる。なんでだろう?

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まだ、序盤。続きが楽しみ❤

なんかさー、「走るように文章を読み、鬼のようにエッセンスを抜き取り、要約」するのはAIに敵わない気がする。見当外れでも、トンチンカンでもいい、みんなに伝わらなくてもいい、奇人変人な読み方をして、少しの人の共感をもらえたら、それって人間っぽいのかな?と思った。芸術とか、アートとか、そういうものだったよね。わかりやすさとか、理解されるとか、目指しちゃだめだよな〜って、急に思っちゃって。もう、人生折り返しだしさ、怖いものもないしさ、好き勝手、秩序正しさとか評価とかに振り回されない生き方を模索する段階なのかなー?なーんて。
だって、明らかにAI的な能力衰えてるもん。自分の老いに逆らうのって、なんかしんどい。(笑)
でもさ、そんなことかんがえると、自分の平凡さっていうかさ、なんのトンガリもない普通さに改めて気づいて、ちょっとガッカリするんだよね〜。(笑)
羽目外したって、所詮、大したことないっていうかさ。(笑)

母のこと

昨日は母の誕生日だった。

全くさ、生きてるときは、反論ばかりしてたのに、母だったらこんなときなんて言うかな〜?なんてことばかり考えるから、わたし、親離れできてないんじゃないの?!なんて気になる。

生きてるときに、これくらい話を聞いてあげればよかった。母のこと、頼りにしてたってこと、伝えておきたかったな。それだけが無念。

だから、こんなに思い出しちゃうのかな?