まじめちゃん
先日の大会で「まじめちゃん」って作品を出した人がいた。
わたしは、小学生には「少し早いんじゃないかな?まじめちゃんに悩むのは中学生くらいじゃない?」って言った。
児童文学を書く人には、まじめちゃんがいっぱいいて、なんかおもしろかった。
だけどさ、百歩譲ってさ、小学生の「まじめだね」には悪意がないかもしれない。中学生の「まじめだね」には、あるよね? 意気地がないとか、勇気がないとか。先生の言いなりとか、自分がないとか。
断捨離したほうがスッキリするに決まってる。それができるなら、とっくにしてるんだよね。
まじめちゃんがみんな悪ぶってダラダラしてるんじゃなくて、いろんなしがらみとか、誘惑とかなかったみたいに、涼しい顔してできちゃうまじめちゃんが、うらやましくて、憎たらしいんだ。
だって、わたしだって、まじめちゃんになって、ママにほめられたいもの。
ポコちゃんは、まじめちゃん?ちょっと違う気がする。
宮下さんは、先生のことが大好きだったって言ってた。そういう時代もあった。でも、そのときって、クラスの子たちのことより明らかに先生の方が好きだった。
そのとき、先生になりたいなって思ってたけど、中学生になって、先生がふつうの人に見えて、先生を超えていけるって思ったら、なんか先生なんてなりたくないなって思った。
まじめちゃんとは、飼い主と犬の関係かもね。素直になついてるほうが可愛がられるし、ストレスがたまらない。
わたしが、スッキリするから、まじめちゃんっていうのは、なんか少し何かに目を瞑ってる気がする。