自分の感受性くらい
茨木のり子さんの詩があるけど、
自分の感性を全部開放することなんてしない。
いつからだろう?
強くなりたいと思ったときからかな?
自分のこころを隠すようになったのは。
弱さは誰かを傷つけたと自覚したときに、代償みたいに出てきたり。
そういうのって、意味ないから。
ただ、私だって傷ついているのよ!って言いたいだけだから。
報いにもなんにもならないから。
傷ついてる暇があったら、謝りな!
なんて、自分に冷たい言葉を投げつけてしまう。
大人になって、こころの柔らかいところにはちゃんとカバーを付けて、さらさないように、少しかばって、護ることも覚えた。
だから、昔みたいに無防備に傷つくわけじゃない。
でも、傷つかなかったこころも、ひやっとしたとき、痛みを疑似体験みたいにして、震えるんだよね。今まさに切られたみたいに。
戦士が亡くした脚を痛い痛いと泣くように、無傷のこころが痛む。
どうして、こんなことを急に思ったって?ちょっとね。(笑)
メリークリスマス。クリスマス終わっちゃうの寂しいな。