日日是好日

やっぱり、Facebookは、似つかわしくない。ツイッターは、広すぎるんだよね。掴みどころなくて、そのくせオープンで、まだなんか怖い。ブログって、箱庭が自分にはちょうどいいんじゃない?そんな気がして、戻ってきましたよ! 過去は、振り返らない! 毎日を毎日、毎日、大切に生きていきたいと思います。

首が痛い

おばあちゃんだなあ。
ここのところ、肩が痛い、首が痛い、腕が痛い。どこも痛くも痒くもない日がない。

身体の不調は、どこか気持ちにもつながって、気持ちがざわざわする。

その上、年度始めの忙しさ、一年分のスケジュールがドカッと乗っかってきて、ちょっとうんざり。気持ちがなえる。

だって、肩が痛いんだもん。

それでも、なんとか動けるのね。右ばかりで荷物を持たないようにしよう。

今朝は早く起きました!少しは体調に期待できるかも?朝、早炊きにしないでご飯を炊けた!野菜の色どりスープが作れた!

昨日は息子の誕生日。好物のハンバーグも作れたし、ケーキも買ってきた。お祝いもした。娘の定期券だって買いに行けた!

できてないこと、やらなきゃいけないことも大事だけど、たまには、できたことも振り返ってみよう。

がんばってるよ、わたし!

優しくなるためにレッテルを貼る

昔、わたしがクラスメートとのいざこざで怒っていると、母が言った。
「がんばっても、できん子はおるんだよ。できんから、悔しい。だから、こんじょわるい(根性悪い=意地悪い。)こと言うんだわ。」
頭ではわかっても、意地悪されて平静心は保てない。私だって悔しいもの。

http://poco-chan.hatenadiary.jp/entry/2018/06/28/184003

でも、書いてたね。過去記事で。
あの人は病気だから、こういうところあるから、レッテルを貼ってしまえば優しくできる。

レッテルを貼られるのって悔しいし、不本意なレッテルを貼られるのっていやだよね。
でも、優しいとか、賢いとか、気遣いが細かいとか、そういういいレッテルだってある。
だから、もっと気楽にレッテルを貼ってしまってもよいのかも?

困ったお客様は、病気だから、相手が気が済むまで話を聞いてあげる。

コナンに意地悪されても、嫌なレッテルを貼られても、お互い様だからね。

でも、あまり良くないレッテルはこっそり貼ったほうがいい。相手に悟られないように。自分だってあからさまなレッテルを貼られたら嫌だもの。でも、配慮はしてほしいなんて、甘えてる。

もしかしたら、差別ってあるよね。でも、それを公然とされるのは嫌なのかも?おもいやりとしての差別(配慮)なら、ありなのかも?
そのへんが、杓子定規に混乱してるのかもね〜。

昨日、夜に髪を切った。美容師さんと、世の中ギスギスしすぎですよね〜。と合意しあった。たまたま名古屋出身の人だったの。

名古屋の桜の名所の話とか、東京の人ほど桜に狂いませんよね〜?とか、話せて面白かった。

父の顔も見に帰らなくては。と思った。

風向きが変わってきた。

ずーっとコナンに虐げられてきたポコちゃん。

風向きが変わってきた。味方が多くなって、コナンがポコちゃんを責めにくくなってきた。責められても、ポコちゃんも前ほどおどおどしなくなってきた。

今日もコナンがポコちゃんを責めて、ポコちゃんのせいじゃなかったことがわかり、謝ってくれた。

ポコちゃんは、「全然、大丈夫です!」と余裕の笑顔😃

でもね、コナンが孤立しないように気を配らなくちゃ。言いやすくなったから、コナンへの不満をダダ漏らしちゃだめよ。

コナンは悪気があるわけじゃない。ポコちゃんを危なっかしいとか、未熟とか思って教育しようと厳しく接していただけなんだ。厳しさが愛ということも?ある?からね。

ポコちゃんのいいところを見失わず、調子に乗ることなく、目配り気配りでがんばろうね。

そのことが、本当の信頼関係を育むから。

苦労を語り継ぐ人と、受け継ぐ人

戦争の話をする老人(ここでは、敢えて突き放して老人。お年寄りではない。)に二種類ある。

一つ目は、自分たちはこんなに苦労したから、あんな苦労はさせたくない。と語り継ぎ、苦労を回避させる人。

二つ目は、昔はこんな苦労をしたから、人間ができていた。自分にできたのだから、あなたにもできると同じ苦労を押し付ける人。

どちらがよいかといったら、一目瞭然、前者である。でも、人の心は複雑で、あんまりすいすい楽々若人が能天気にしていると、自分の人生や才能を否定されたように思ってしまう人もいる。
それで始まるんだな。昔はよかった。今は、おかしいって。

それはさ、その人の人格の差ではなくて、考え方の差。ずっとそうじゃなくて、浮き沈みもあるかもしれない。

だいたい、二つ目の考え方が出てくるところで気持ちが負けている。新しい時代をうらやんだり、ずるいと思って僻んだり、そういう気持ちに支配されている。

苦労したから、偉いんじゃないんだよ。苦労を乗り越えたことが素晴らしい。だから、もう一回、同じ苦労を経験させようなんて思わないで。そんなの時間の無駄すぎる。 
武勇伝は武勇伝として、誰にも手の届かない神棚に偉そうに飾ればいい。若人は、若人で、新しい時代の苦難を乗り越えようとがんばっているのに、応援しないで足を引っ張るやつがいるか!ばかもん!

とご先祖さまでも出てきて、叱ってくれないかな〜?(笑)

こころの整え方

息子のテスト、撃沈。

息子はママに褒められたいじゃない?
悪い結果のテストとか、間違い直しとか、耐えられない。

ここが踏ん張りどころ。

目を開けて、ちゃんと向き合わなくちゃだめなんだ。そうするチャンスなんだと思うけど、息子は逃げてしまう。

〇〇の間違いは天才すぎて、ママにはわからないわ〜。なんて、持ち上げて?みるけど、なかなか難しい。

こころの整え方なんだな。
負けて涙でぐちょぐちょのときも、わーっと泣いたら、ちゃんと顔を上げてすっきり向き合うみたいな。

そういう積み重ねの先に明日があるということを、ちゃんとわかっているということ。

不安に絡め取られないということ。

小学生には難しいよな。

学校の宿題やってるし、学校の勉強わかってるからいいじゃん。
紙の作り方勉強して、将来稼ぐのになんの役にたつの?って聞かれると、覚えることじゃないんだよ。そうやって、社会の成り立っている仕組みに興味をもったり、面白いと考えることが大事なんだっていう。

小学生には、むずかしいよな。

わかる。でも、負けるくらいなら、負けたままなら、参戦しないほうがいいよ。立ち上がる気がないなら、やめてしまえと思う。でも、本当は、もったいなくない?もう少し、頑張ろうよって思ってる。

難しい。

対話する気がないんだな

教育委員会への苦情はひどい。ポコちゃん語に訳すとこんな感じ。

うちの娘が不登校になったのに、学校はなんにもしてくれない。支援センターやサポートセンターに丸投げだ。
あんたたちプロだろ?親が思いつくこともできなくて、何が先生だ!やめちまえ!首だ!

教育委員会からの回答はこうだ。
こちらといたしましては、できる限りのことはしてきました。〇〇さまのご意見はこういう点はもっともだと思われましたので、学校に助言指導いたしました。

ポコちゃんは、いつもはがゆい。

こちらとしては、精一杯やっているが、ご期待に沿えずに申し訳ない。クラスには、〇〇さんの他にもさまざまな生徒がいて集団生活の中で失敗したり、成功したりして学ぶ、学びの場である。
教員は、あえて声をかけずに見守ることもある。保護者さまのご期待のとおりにはすべてが進まないと思うが、温かく見守ってほしい。

くらいの方向で書かないと、全く対話になっていない。……と思うのだ。でも、反論は反論を呼ぶしね、対話なんてしたくないんだろうな。正直。

お年寄りならね、諦めがつく。子どもはね、自分の子育ての失敗すら認められないのよね。こういう親たちは。学校のせいにしないと、我が子が不憫で、自分がなんとかしてあげよう!とおもっても、学校に文句を言うくらいしか、思いつかないんだろうな。

向かう方向が違うよ。子どもは、何を望んでると思う?どうしたいか、子どもとちゃんと話し合ってみたら?向き合ってみたら?

ポコちゃんもうまくいかないときは、こうなのかな?コナンと向き合えていないのかな?