バカになりたかったあの日とバカになっちゃった今。①
橋本治さんがなくなった。1980年代、わたしはまさに橋本治さんに夢中だった。
よく覚えていないけど、ふらふらしながらも、国文学の端っこを掴んで離さなかったのは、橋本治さんにあこがれてたのかもしれない。
「問題発言」とか、次々に出る橋本さんの新刊を丸善や三省堂で買った。いつも大きなトートーに、これでもかってくらい線を引いたハードカバーの本をゴツゴツさせながら、満員電車に50分も揺られて、高校に通ってた。
橋本さんの本を読んでいたのは、自分を見失いたくなかったからなのかもしれない。受験勉強って、オリジナリティよりも、素直にみんながいいよっていう問題集を解いたり、地道に暗記したり、勉強したり、やることが決まってて、自分を消して、勉強ができる子になりきる作業みたいに思えた。
まだ、自我がぐらぐらで、何になりたいのか、自分は何者なのか、誰に評価されたいのかもわからなかったわたしに、それはちょっと辛かった。
目をつむって、勉強するのはいいよ。わたしの感性は、その時封印されて、わたしはいなくなっちゃうのかな?そんなふうにさえ感じていた。