誰かの脱皮を見守る
子どもの頃の私って、育てにくい子だったろうな。
すぐに泣くし、落ち込むし、いろいろぐるぐる考えるし。
しかし、母を見ても、妹を見ても、そうだと思う。ただ、私がそのことについて一番悪気がなかった。
悲しいとか辛いとか、悔しいとかは、うれしいとか、楽しいとかと同等に、時には、共有するために大げさに?表現してもいいものだと思っていた。
周りは鈍感で私の高尚な悩みや気持ちなんて、わからない。そんな気分だったのかもしれない。
だけど、だんだん気づいてきて、鈍感なフリやバカなフリが上手になっていった。
天然。なんて、なんにも考えてないみたいだけど、なんか考えて一周回っちゃってもとに戻ってるだけで、いや、そっちに夢中でこっちは全くお留守ってこともあるけれども。
分かってほしい人に分かってもらえないことは、もどかしい。でも、わかるはずないって距離を置いてしまえば、全然気にならないんだ。お互い様だし。
分かってほしい熱量で、興味もわかない人のこと分かろうとしたり、考えるのって、疲れる。
だから、私なんて眼中にないのだな。お互い様だなって、さらっとスルーする。
今週は上の子は期末テスト。勉強しなくちゃの思いのために、昼間寝てたり、夜中起きてたりする。
そういうのって、長期戦ではあんまり意味なくて、ちゃんと寝たほうがいいよって思う。
感情も一緒。やたら突き詰めたり、追い詰めたりしても、ひとりずもうなの。それでいいと割り切っているならいい。でも、一欠片でも分かってほしいと思うのなら、感情に少し距離を置くほうがいい。
それはさ、やっぱり経験で、最初からはうまくできない。試行錯誤した上で、あ、この悩み方、不毛だとか、徒労にしかならないって気付きが何度もあって、もういいかって思える。
たぶん、もういいかって思えないでもがいているときに、一番化学変化が起きるし、それは、生まれた遺伝子を育てるために必要な経験なんだと思う。
すると、わたしは、もう成長を終えたのね。いまは、成長を見守る時期なのかも?
若い頃、自分がどんどん人生の主人公でなくなっていく感じに、少し焦った。いまは、主人公なんて思ってない。傍観者だもんな。まるで。
せめて、他の人に危害を与えたり、悪い影響を醸したりしない程度に、自分のコンディションを保ち、息を潜めて、誰かの脱皮を見守ってる感じ。