罵詈雑言に発言権はない
またまた、昨日の話。
差別と区別はどう違うかって、話があった。
みんなが、付箋に書いて貼ったりしたんだけど、
ダイバーシティの抱える矛盾について。
ヘイトスピーチをする人も、多様性として包含しなければ、本当のダイバーシティではないという難しい話があるよねって話題が出た。
えーー?まあね。聞いてあげなきゃ成仏しないし、ヘイトスピーチの出てくるもともとの哲学とか真意みたいなものもあるよね。確かに、排除したら、対立が深まるばかりだ。
出口先生は、ばっさり。
ドイツでもナチ賛美の人に発言権はない。
ヘイトスピーチのような罵詈雑言は、表現の自由に当たらない。
うそ、デタラメは、表現の自由ではない。相互に検証可能なことだけが、議論に値するという。
ヘイトスピーチみたいなのは、劣等感の裏返し。
劣等感+ねじ曲がった愛国心=排外主義
となり、他国の悪口を言う。
そういうときには、Factを言い続ける。それぞれの持ち場で、上がなんと言おうと、正しいことをやり通す。
日本では、陰謀やウソが昔から多すぎる。それは、学者が言わないから。ヘイトスピーチみたいなのに反論しても、学者は、なんのポイントにもならないし、偉くもならない。だから、相手にしないし、無視してきた。
日本の本屋に並んでいるヘイトスピーチで人々をアジってる本を一掃したいという編集者の気持ちで生まれた本が「陰謀の日本史」(角川新書)だ。
「嫌われる韓国・中国人と好かれる日本人」みたいな本とか、日本語で国内だけで出版されてるからいいけど、外国で報道されたら、大変なことになる。
差別は、価値観の押し付けにより差を作る。区別は、機能的役割による区分だ。価値観を押し付けられることは嫌だ。だから、差別はしてはいけない。
NPO Reジョブス(脳損傷の社会復帰と家族支援)の西村さんは、
「自分が損やで〜」と笑い飛ばす。明日は我が身だということだ。例えば、日本の中で今はマジョリティであると思っていても、明日、どこかの国に占領されたら、自分がマイノリティになる。自分がなったらどうするの?って、いつも言ってるそうだ。さすが、おかん。こんなおかんがいつもそばにいてくれたら、みんな安心だろうな。
違いを直視できる勇気のある人は区別、その勇気がない人は差別をする。
自分が悪いとか、相手の価値観とか、都合の悪いことを受け入れられないと、その存在を否定してしまう。情報弱者にその傾向があるという。
相手の利益になるのは区別、相手の不利益になるのが差別。お金がないから治療しないのは、差別と現場では言っている。
髪を失った女性を笑顔にする活動家 ヒロセさんは、
デブ、ハゲ、っていうのも、自分の立場に置き換えられる人は、笑い飛ばしてくれる。
わたしは、ハゲが重要なことじゃないと思えてるから、笑い飛ばせる。重要視してる段階では、無理。
わたしは笑い飛ばせるけど、笑い飛ばせない人もいる。と話された。もっと深い話もあったんだけど、聞き入ってしまって、メモを取るのを忘れてしまった。ごめんなさい。
参加者の付箋には、
「差別は無知、区別は理知」
って、コピーライターのような格言から、様々な深い意見が出た。
さて、封筒からハングル表示を消せと凄む、いつものヘイトスピーチのおじさんから電話が掛かってきたら、ポコちゃん、どう出ようかな?
まだまだおかんの貫禄も、出口先生みたいな賢さもないから、とりあえず傾聴…かな?
あなたはこう思うのですね。こういう内容でよろしいでしょうか?と要約して、客観視してもらえたら、上出来。
頑張ろう。