poco_chan’s diary

ポコちゃんのつぶやきブログです。ひとりぼっちで辛い思いをする人がいなくなるように。ここを訪れてくれた人の心がすこし軽くなって、社会を信じて自分を好きになったらいいな。落ち込んでるなんて、もったいない。みんなで力を尽くし、よりよい世の中を作れるように。そうして、かわいい子どもたちや、若い世代に明るい未来を引き継げるように。それが、ちっぽけなわたしの壮大な夢です。(笑)

深いなあ。ロバート・キャンベル

今朝、キャンベルさんの自民議員発言への批判記事を読んだ。
それで、キャンベルさんのブログ見てたのね。

https://robertcampbell.jp/blog/2018/04/30/

日本人ネイティブのポコちゃんができない偉業を、20歳超えて日本にやってきたキャンベルさんが軽々できてるって、すごいと思うし。

で、例の記事以外にもいくつかブログを読んでみた。

あーー、かなわない。この人、深くてしみじみしてる。そう思った。だって、文章読んで共感はできても、ポコちゃんには、こんな表現できないもん。
当たり前とか、キャンベルさんと自分を並べるなんておこがましいとか、笑わないでね。ポコちゃん、まだまだ成長期だから。(笑)
###(以下引用)###
人が他者を理解しようとボーダーを越えた時、その行為が寄り添うこととして喜ばれるのか、それとも行き過ぎた文化への立ち入り、英語でいうcultural appropriationに当たる無神経な模倣や真似として否定されるのか、その線引きが実はわかりにくい。
###(引用終わり)###

ポコちゃんがいくら男性社会に溶け込もうとしても、いくらあいつよりは優秀だし、できると思っても、選ばれないのは、行き過ぎた模倣だからなんだよね。仲良くしようとすればするほど、遠くなる感じ。
男性だって、女性の中に入れば、同じ感情を味わったことあるでしょう?

この人は日本でずっと、外国人として日本の研究をしている。そのアウェイ感、計り知れないよね。

そこまで排除されながらも、日本人みたいに、なりきっていく。

###(以下引用)##
多和田さんは数年前、福島の原発事故に取材して作品を書きました。その際、当事者ではない人が本当には理解できないことだから書くべきではない、他人の苦しみを資本に小説を書き、金儲けするのはけしからんことだと思う人たちがいることを初めて知ったと言う。福島の人からみれば東京で生まれた彼女は確かに外部の人ではあるが、原発事故を題材に小説を書いているドイツ人たちから見ればまさに内部の人間に見えます。多和田さんいわく、「自分以外の存在になりきってみる、それができなければ文学は成り立ちません」、とまで言い切っていました。
##(引用終わり)##

だけど、男女平等の話は、女がすると感情的に見られすぎる。山口一男先生(この人もポコちゃんが大大大好きな人!)みたいな男性の学者が論理的にデータで裏付ける仕事をしてくれてるから、前に進む。
キャンベルさんも、外の視点があるから、より日本のことが客観的にわかるんじゃないかと思う。自分のことは案外、わからないものだから。

だから、違うものを排除しちゃだめなんだよね。痛みが共感できる仲間とは傷の舐めあいで疲れ切って終わっちゃうから。

やっぱりさ、こころに踏み込まれるのは嫌だけど、解決を望むのなら、オープンにしていかなくちゃいけない。

それは、失敗するかもしれない実験に似ている。でも、失敗すらもデータなんだ。結果が分かれば、次は、違う実験ができる。

##(以下引用)##
教養とは、自分の経験から思いも寄らない他者の言葉にふれたり、前時代に起きたことがらに対して思いを馳せ、知ったりすることで自らを変える力を蓄えることだと考えます。
##(中略)##
頭とからだを使って、自分が好奇心をもって向かおうとしている目標について他者に説明する言葉を磨くこと。ファクトを切り出して、論理と共感というきわどいバランスをその都度に繰り出すスキルを身に付けることに尽きると思います。これが本来の教養であると、私は考えます。
##(引用終わり)##


そうだよね。キャンベルさん、いいこと言う。
共感じゃなくて、教養なんだよね。世界をつなぐのは。ポコちゃん、周回遅れで、このスピーチ読んで、心が動いた。