自我を消すこと
自我を断捨離。究極の断捨離。悟りだよね〜。
今日ね、後期高齢者のおじいちゃんの苦情を聞いて、褒められたよ。気難しい人なのに、課長に「対応が良かったと褒めてやってくれ」とわざわざ言ったそうな。
ポコちゃんは、おじいちゃんの講演会ばりの話を、「そうなんですか。」と聞いていただけなのに。
きっともっと若くて素直な子だと思ったんだろうな〜。(笑)受話器の向こうは、ポコちゃん!(笑)残念〜〜。(笑)騙したわけじゃないからね〜。
なんか、本を勧められたけど、忘れちゃった。さっき、メモをうっかりシュレッダーしてしまったことを思い出し、検索したけど、マイナーな本なのか、引っかかってこない。
このまま、いい子でいくか、信頼されたら、「えーー?本当ですか?」的に反旗を翻すか、考え中。それは、自我由来じゃなくて、誠実由来の反旗ね❤付和雷同でもだめなんだな。こころがないと。
自我を断捨離して、愛という名の承認を振りまく。
うるさくて、煩わしくならないようにだけ、気をつけよう。愛されのない愛はただ風の前のチリに同じ。(笑)
結局、みんながほしいのは、承認と賛同。寂しいんだよね。嫌われ役を買ってでも役に立ちたいなんて、やっぱり承認してほしいんじゃん。
自我が消せたら、承認欲求もなくなるのかな?
だけどさ、思い起こせば自我の獲得って、本当に大変だったんだよ!それをいい歳になったら消すなんて、なんて、生産性のない、循環。生命はそもそも循環だからね。ピークを過ぎたら、薄くなって消えていく。
それもいいかも?(笑)
憎まれっ子世にはばかるって言うしね。うすーくなって、おばあちゃんになっても、あ、まだ生きてたの?くらいの存在感で、うすーい愛を振りまきながら、お茶すすってるのって幸せそうじゃない?(笑)