日日是好日

やっぱり、Facebookは、似つかわしくない。ツイッターは、広すぎるんだよね。掴みどころなくて、そのくせオープンで、まだなんか怖い。ブログって、箱庭が自分にはちょうどいいんじゃない?そんな気がして、戻ってきましたよ! 過去は、振り返らない! 毎日を毎日、毎日、大切に生きていきたいと思います。

のんきにしてればいいさ

悔しい。
サキちゃんの裏切り。
トトちゃんの意地悪。
でも、私達はチーム。
ポコちゃんまで噛み付いちゃ、喧嘩になっちゃう。
だから、こらえる。
いやだ!
本当は大きな声で叫びたい。
さきちゃんなんて、あずみんとおんなじだよ。
この自己愛おんな!
トトちゃんの自画自賛
脅すような大きな声。
うるさーい!!
静かにしてよ!

でも、ポコちゃんはいわない。

そして、ここで吐き出してる。

パパに言ったら、のんきにしてればいいさ
と言われた。

そうなんだ。

わかってる。

でも、のんきでいられないくらい、ストレスがたまる。

脅す人はきらい!
ちゃんと話し合えばいいのに!

ばかっ!ばか、ばか、ばか。
みーんな、ばか!

あー、すっきりした!

すっきりしたのかな?
状況を打破したわけじゃない。

でも、今日はこのくらいで、我慢しちゃる!

コミュニケーションは受け手目線

新しい課長が来た!
学んだこと
①個人(パーソナリティ)として仕事をするので、役職名で呼ばない
②社内の人にお世話になっております、お疲れさまですはつかわない
(ポコちゃんはいつもありがとうございますに変換することにした)
スマホを、業務に積極的に活用すること
(早速課長おすすめのヤフーリアルタイムを入れた)
紙決済、職員が大変なことは止める
(キーちゃんに押し付けちゃった仕事、取り戻す!ごめんね。)

眠れる獅子

ととちゃんに、もっと強くなれと言われる。
ちゃんと言わないと、こっちのせいにされちゃうよと言われる。

私は、いいものが作りたい。エネルギーがあるなら、自分や組織を守るためでなく、いいものを作るベクトルに全て使いたい。

だから、相手の気持ちを削ぐようなことは言わないように気をつけてる。励まして、褒めて、頑張る気持ちをもりたててるつもり。

でも、バカにされてるのかな?

怒ってみた。
「改行などについては、常識に基づき、そちらで判断してください」

私は、そちらにコンサルとして、仕事を依頼した。これでは、印刷会社以下だ。

ポコちゃんは、怒ったら、火のように燃えてしまう。もしかしたら、これまで重ねてきた大事な努力を焼き尽くしてしまうのではないかと、心配だ。

私は眠れるしし座さんなのだ。😆

親子について

困った人がいる。
昨日は、なんだかひどかった。

3年前は、あんなふうじゃなかった。

友達がほしいと言っていた。

今はお母さん攻撃。
でも、お母さんに依存している。

コナンはお母さんの老いを受け入れられないんだって言ってた。

お母さんへの優しさが足りない。

なんでももってるのに。仕事しなくても生活できる家に生まれて、大きくて立派な家に住んでいるのに。

なんで、そんなに誰かを責めるのか。

自分のことを肯定できないからなんじゃないかな?

法律の知識をひけらかす割には、弁護士にもなれてないし、大したことないと思っている。
お金持ちをひけらかす割には、自分で働けないことを情けなく思っている。
きっと、自分の中で、ダメだしがたくさんあるんだ。

だけどさ、他の人の粗探しをしても、多分心は晴れないと思う。

大変だよね。

あなたはあなたでいいのに。私はあなたが羨ましい。

お母様は、武家の妻みたいにでんとされていますよ。同じ年頃のご婦人はそんなふうにはいかない。

大きな声を出さないで。ちゃんと聞こえますから。

あなたは、恵まれてて、頭もよいのだから、その能力を下々のものの粗探しにつかっていてはもったいない。
お母様を幸せにするのに使ってください。

人生の目的は勝ち負けじゃない。いかに、自分の人生に満足できるか、幸せをたくさん感じられるかということだと思う。

だから、こんな時間がもったいない。人のことなんか、どうでもいいから、お母様と温かいお茶でも飲みながら、幸せな時間を過ごしてください。
わたしは、母とそうしたかったから、あなたにはしっかりしたお母様がいらっしゃって、とてもうらやましいです。

もし、今度電話がかかってきたら、そう言おうと思う。

強さと弱さ

サキちゃんは、声が大きい。そして甲高い。
でも、多分、自分で気持ちよくて、大きな声で話してる。ときどきエスカレートして、ビブラートかかっちゃうんじゃないか?って思うから。

職場で、ちょっと相談しても、すぐに大きな声で反論してくるから、なんか気まずい。周りの人にも全部聞こえちゃうしね。
そうですねとか、賛成のときはそんな大きな声を出さない。たいてい反論のとき、人にものを教えるときだから、なんだか居丈高に感じる。

彼女は気持ちよくて、そうしてるって言ったけど、ものすごく強い調子で言い返してくることがある。まさに、対立って感じ。

そういうときに、私は痛いけど、彼女は、恐いんだなと思う。

無意識に負けたくなくて、大きな声を張り上げているんだと思う。

苦情のお客さんだってそうだ。

大きな声を出す人は、余裕がない。相手の話を聞かない。自分の声だけで満たしたい。

余裕がある人は、まあるい声で、相手の意見や立場も確認しながら、優しく諭すように話せばいいのに。

だから、大きな声で言う人を悪く思わないようにする。

ああ、弱いんだな。余裕がないんだなって思う。

そういうことなんだと思う。

おばあちゃんと孫

友達の投稿にコメントしてたら、なんかいろいろ考えちゃった。
メモです。

わかる。なんか、思春期の人と話すように言うと、いろんな人がいることの認識と理解は必要だけど、まずは自分の生き方を肯定することも大事。
例えば、おばあちゃんは具合が悪くて働けないとしたら、おばあちゃんの前で働く喜びを口にしないというのも違うし、おばあちゃんに寄り添って、自分も仕事をしないのも違う。おばあちゃんは、そんなふうに孫にされても、決して喜ばないよね。
全世界の人が、自分のおばあちゃんみたいに、暖かい目で自分のことを見守ってくれているとは限らないけど、ときに拙い孫がおばあちゃんを助け、おばあちゃんは孫に自分のできることをする。
上手くいえないけど、そういう親切の物々交換みたいな関係が、ダイバーシティのような気がするんだ。
経験とか知識とかある部分では、おばあちゃんのほうがすごくて、元気っていう意味では孫がすごい。ふたりは対等でも平等でもないけど、お互いに思いやってるみたいな。
そして、私の実感だと、孫を生きるより、おばあちゃんを生きる方が、とっても難しい。孫の失敗はおばあちゃんも経験してきたことだから、わかるし、許せるけど、おばあちゃんの失敗には、孫は愛情を疑ったり、落ち込んだりするよね。ま、いろいろだけど。